マツダ ロードスター値引き情報

開発主査は平井敏彦が担当。のち平井の退職に伴い、サスペンション開発の担当であった貴島孝雄が引き継いだ。プロダクトデザインは田中俊治の手によるものである。 開発の発端はマツダが北米に開設していたMAZDA RESEARCH of AMERICA(MRA)のスタッフが空港に向かう車中で「MGの様なライトウェイトカーが有れば」と話した事といわれる。それを受けて、当時MRAに在籍していた福田成徳らがデザインコンセプトをまとめた。デザインコンセプトは有志の手によって試作車となり、イギリス、アメリカで実際に走行試験が行われた。この走行試験について、アメリカでの走行試験の際に熱心なカーマニアから追いかけられ「譲ってくれないか」と頼み込まれたという逸話が残っている。この試作車はマツダ社内に保管されており、2009年夏に20周年イベントのプレイベントにて展示公開された。 その後も開発は、日本国内の工場の隅にある、通称「リバーサイドホテル」と称される施設で、有志により継続された。まだこの段階では量産を前提とした開発ではなく「オフラインゴーゴー」と呼ばれるデザインスタディのレベルであった。(この施設では同時に初代MPV、キャロル(AA6PA)のデザインも進められた。)その後、有志によって「ライトウェイトオープン スポーツ」の存在がマツダ社内でプレゼンされ、正式開発の指示の下、正式開発ラインに初めて乗る事になる。開発に当たってのキーワードは「人馬一体」とされた。当時、マツダのデザイン拠点は広島本社とは別に前述のMRAの他、横浜にあるデザイン本部(MRY)、そしてヨーロッパ(MRE)にも展開されており、これら3拠点で練られたデザインが持ち寄られ、最終的なデザインの方向性が決められた。主となるデザインはMRA提案であったが、後の開発過程で贅肉をそぎ落としていく事になる。当時のデザインコンセプトは「ときめき」である。(その後デザインコンセプトは「ひびき」、「語らい」と続いていく) デザインモチーフには「日本の伝統」を記号化したものが多く用いられた。丸みを帯びたボディと細身のポジションランプが特徴的なフロントマスクは、能面のひとつである「小面」、フード部分で盛り上がり、サイドウィンドウに沿ってなだらかに下がって再び盛り上がるサイドのラインは、同じく能面のひとつである「若女」を横から見た姿にインスパイアされている。そして車体の曲面は光の映り込みまで計算されている。シート表面のパターンは畳表の模様、リアコンビランプは江戸時代の両替商が使った分銅の形(現代日本の地図記号で「銀行」を表している)をデザインしている。独特の形状のアウタードアハンドルは、敢えて従来のものとは一線を画す様にデザインされた。これは、日本の茶室の「くぐり戸」から入る際の緊張感と同列の感覚をロードスターの運転を前に感じて欲しいという、開発者からのメッセージでもある。

先述のデザインコンセプトを取り入れることで、マツダの考える日本的なアイデンティティを表現している。細部ディティールに至るまで評価は高く、分銅型ブレーキランプ・楕円形ウィンカーランプ・丸型リバースランプ・それを取り囲むリフレクターを一体でデザインしたリアコンビネーションランプは、デザイン性と機能性の両立を評価され、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) に展示・永久収蔵されている。 ノースリーブの女性の肩に風が当って冷えない位置にドアミラーを配置したり、爪のマニキュアが剥げない数値にドアノブの溝の深さを設定するなど、女性に配慮した部分も多い。ヘッドライトはリトラクタブル方式が採用されている。格納時の丸みを帯びた外観に加え、展開時に現れる丸型二灯式ランプによって表現される表情を好むオーナーも多い。特に正面から見た時の佇まいは、精悍な表情でスポーツ性をアピールするデザインとは一線を画すものである。過激なスポーツ性を廃し、運転を楽しむための車作りに徹したロードスターの性格をよく表していると考える向きもある。

最初期のモデル以降、2度の大きなマイナーチェンジを受ける。排気量の変更を始め、各部剛性の向上など性能は大きく変化することになるが、エクステリアに関しては大きな変更はなく、どのモデルも大きな違いはない。リアの”Roadster”のロゴプレートに関しては文字色が各モデルで異なり、 NA6CEが黒文字、NA8Cシリーズ1が赤文字、NA8Cシリーズ2が緑文字となっている。

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